05.18.18:32
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06.06.21:33
今日、友達がバイトしている、とあるカー用品店へ冷やかしに行ったのですが、そこで一つ年上の幼馴染みの先輩に偶然会いました。 その先輩とは保育所の時からいっしょで、途中の付き合いはかなりあいていましたが、私にとっては古い知り合いの方なんで、うちのオヤジやおかあの事もよく知ってる人でしたし、死んだオヤジもその人のことはよく可愛がってたのが記憶に残っていますし、その先輩もオヤジの事を好意にしてくれてたでしょうから、さぞかし驚かれたんだと思います。 話は変わりますが、うちは両親が遅くに結婚しており、私はオヤジが44歳・おかあが40歳の時に生まれた子でしかも一人っ子で、家庭もあまり裕福ではなかったんで、普通のご家庭でごく当たり前の様にされている事が出来なくて、振り返れば口や文章ではいい表せない、大小の沢山の苦労や辛い思いをいっぱいしてきた記憶がほとんどです。 そんな反動からか、十代の頃はヤンチャばっかりして学校の先生やポリに呼び出されて家裁へ親と一緒に行かされるは、ボッコボコに袋にされて殺されかけるはその他諸々、両親にクソ程迷惑を掛けて、気のきついおかあとしょっちゅう喧嘩ばかりしてて、最悪は両者が日本刀(模擬刀)と包丁を握り合って一触即発になる位にまでなってましたが、オヤジは僕とはまるっきし正反対の性格で大人しく、国鉄に40年勤めていただけあってか何事にも辛抱強い人でしたので、いつも二人の仲裁役となっていましたし、いつもオヤジには頭が上がりませんでした。 そんなオヤジが死んだのは、私が二十歳を少し過ぎたまだまだクソガキの「喪主」って言葉の意味もわからない程の世間知らずだった頃でした。 おかあは泣くばかりでしばらく何かを出来る状態ではなかったですし、オヤジもおかあも一人っ子だったので、親戚もほとんどおらず、誰にも頼る事が出来なく、何もかも全てを自分一人で背負ってしなければならかったので、わからないことだらけの色んな事を色んな方に頭を下げまくって必死に教えてもらったり、わからないままに挑んだりして、オヤジの葬式を無事に済ませれたって言うより、何とか強引に乗り切ったって感じでした。 当時勤めていた会社に通常は慶弔休暇は両親や子供の場合だと一週間位だと思いますが、二週間いただいて、オヤジが死んで落ち込んでいて何もやる気が起こらない精神を何とか無理矢理奮い立たせて、何をやっていたかははっきり覚えていませんが、その後も何か訳のわからないことだらけの手続やとにかく色んな事をダラダラとやっていたと思います。 普通なら簡単に出来ることが、身内を亡くしたショックのせいか、何事も淡々と処理出来ないんですよね、あ~いう時って! オヤジには迷惑ばっかりかけて、親孝行を全くしてやれなかったな~っと、 いまだに後悔ばかりして自分を責め、悔やむに悔やまれませんが、 その分、せめてもの罪滅ぼしにおかあに対しては今は色々と自分なりに精一杯親孝行をしているつもりです。 独身ではあるものの、今は昔と違って年老いたおかあの面倒を見なあかん立場ですからね。 あれから十年、 オヤジの死やおかあの手術、車で飲酒運転の居眠り事故を起こして九死に一生を得たこと、長年付き合っていてお互いの親からの承諾も受けていて結婚を約束していた女性との別れ、前の仕事中にとある事で事件になってパクられて今現在はまだ執行猶予中の身であること等、 今日現在までに起きた二十代の時の様々な嫌な思い出ばかりが、 久々に先輩に会ってオヤジの事を聞かれた後に走馬灯の様にフラッシュバックしましたね~。 そして、様々なプレッシャーに押し潰されそうになりながら生きているいい年になった今、自分がしていること・自分がやろうとしていることは果たして本当に自分がしたいことなんだろうか、やるべきことなんだろうか、これでいいんだろうか? この先、自分は一体どうなっていくんだろうか、どこへ行きたいんだろうか? と自分に問いかけてみた深い一日になりました。 はっきりとした答えは出てませんが、それでも今は自分の信じて決めた道を歩んでいかねばなりませんし、私なんかよりも更に色々な苦労や辛い思いを背負って必死に生きて、成功をおさめておられる方も世の中に沢山おられるでしょうから私もその方々を見習って頑張ってもっともっと親孝行をしてやらねばってのが今の自分のやるべきことであり、指名なんだと思います。 未来へ進むってのは一秒一秒、時を刻んでゆく訳ですから、大変時間が経つのが遅いですが、過去を振り返ってみると、今日までの時間の流れってのはあっと言う間だったな~ と少し昔が、十代の何も考えずに毎日を楽しく過ごしていた頃が懐かしくなった一日でした。 PR
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いつもは覗くだけだったのですが、共感する事,だぶってる事があって‥。
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コメント、ありがとうございます。
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